2010-12-25

「女か虎か」

古典の名作で、むろん何度も読んだことのある「女か虎か」を読み返した。今回は山口雅也・編「山口雅也の本格ミステリ・アンソロジー」(から。

編者・山口雅也氏が続編「三日月刀の促進士」につけた後説で、「私もよくパーティで女性にこの話をし、あなたならどちらを恋人に示したか訊くと」という文(大意)を読み、ハタと気づいた。

改めて読み返す。コロシアムに置かれた恋人は、迷うことなく右の扉に向かった。彼とて幾日幾夜、牢の中で苦しんだことだろう。果たして王女の想像のように、他の女が扉から出たとき「命が助かった喜びに、からだじゅうを燃えたたせながら、女の手を取って連れ出」せるだろうか。

むしろ、王女の姿を観客席に見いだしたとき、一屡の望みもはかなく、扉の向こうにいるわけはないと知り絶望したのではないか ?

生き延びることを目当てに、なにも考えずに右の扉に向かったと考えるから不要なサスペンスが生じる。王女の決断に殉じたと考えれば話は簡単。

2010-12-19

忘却力が弱いと

[忘却力]
金を借りたとする。
いまは気兼ねを憶えたが、昔はよく人に金を借りた。金に困ったことがなかったから。
何も言わなくても、貸し借りは憶えているのが当たり前。忘れかたをしらない。

とくにレスポンスがないから、相手が「中川は忘れてるだろ」と怒られたり、縁を切られていたり。
そんなことがあった。


約束の時間とかよく忘れるから信用がないが、記憶する場所が違うのだろうね。


恩や親しみも、忘れない
怒りも忘れないけど、こっちは健康に悪いので理解からの解消に努める

[気持ちが重い]
この言葉がわからないのは、忘れないからだろう。
恩はいつか返せると思ってるから、全部憶えて受け止めてる


受け止めた優しさや親しみをすべて憶えていて、相手の気が変わったころに同じ強さで返しているせいか。
分からないのだから推測だが。

思いと感じる代わりに、いつか返すと心に刻んでいるのかもしれない

2010-12-11

夢の妙な一部

妙な断片だけを夢から持ち帰ってしまった。

設定は八年前か。出先から妻(当時)に電話して「ネットワーク環境と冷房のことを考えたら、xxxで作業するのがあなたに良いと思う」と話したら「私も同じことを考えたから、もうxxxにきている」。

「そうか、楽しんでな」と返事をしたときに、そんな突き放した、自由を尊重しすぎる言い方を常にしていたから夫婦として成り立たなかったのだと、夢をプレイバックして別の返事に置き換え、気が済んだ。

けっこう長い夢のなかで、舞台がそんな頃なのも、人物が出てきたのも、その一シーンだけなのに。なんと返事を置き換えて気が済んだのかだけが思い出せないのが引っ掛かり、頭に残ってしまった。

2010-12-06

あれから何度の新月を

麻雀漫画の前に読んだものに、我が身を移入するのは必然か。

一番に熱狂していたとき、コンビにコミックでリスキーエッジ が再販され、やさぐれていた私と主人公吉岡を重ね、またヒロインの心意気にも自分の心を重ねた。

前の新月の夜、東京にいることすら辛く、フェリーで西に向かいながら、もう二度と反応のない人の心は忖度しないと決めた。

日曜日の夜に、手筋の見直しとして見つけたら買おうと決めていた 打姫オバカミーコ に、喪ったものを想い涙を零さずにはいられなかった。

人が欲しいのではない。人を喪ったと嘆くのではない。信じつづけることが辛くやめた自分が哀しくて。

それでも、そこから過去の思い出がすべて消えるほどの想いがあったとしても。再現ができないものはないのと同じ。惜しんでも返らないものを求めるのは愚か。

喜べ、ヒギンズ教授が自立した女性を作り上げたことを誇ったように。選ぶ強さを示唆し、選ばれなかったならばそれは喜ぶべきこと。選択を与えたのは自分。

2010-10-27

つぶやき

「アナタの真意はこうですか」を「こうでしょう、異論は認めない」てのがストーク。

「こうじゃないですか」て問いを断定と感じて逃げ出せば被ストーク体質。


相手の考え方を取り込み、自分なりに消化して発展した形を見せたいのと。相手そのものを求めるのとを混同すれば、いつも結果は哀しい

2010-10-06

高田敏子「美しいものについて」

高校のときの合唱の思い出として前に書いた 高田敏子 美しいものについて (もとは あなたに 収録 ) より、表題作 美しいものについて

花は咲く 誰がみていなくても
花のいのちを美しく咲くために

小鳥は歌い 空を飛ぶ
小鳥は小鳥をよろこび生きるために

樹は茂る 魚は泳ぐ
樹であり 魚であることのために

人は
人であるそのことのために生きているかしら?
人は人であるそのことを
いつも思って要るかしら?

きのう 私がしたこと
きょう 私がしようとすること
人であるそのことにかたく結ばれているかしら?
樹や花や小鳥や魚のように--
人であるそのことを美しく生きているかしら?

樹や花や小鳥や魚を
美しいと ただ見るだけではなくて

2010-10-04

僕ともあろうものが

幻視・幻聴はそれほど珍しくない、小学校のクラスにひとり・ふたりいる体質。思い起こせば私も小学生のころは入眠時に幻聴を友人の声で聴いていた、怖くない。そんなことを一年と少し言っている。

だが実際、先月はつか頃に久々に幻聴に襲われてから恐れていたらしい。声を認識したときには感情的にならず聴いていたが。以降も現実の発話者と一致すると決めつけたりもしなかったが。

自分がそんな発言内容を恐れているとも望んでいるとも考えづらく、面倒くさくなって、それ以降。部屋にいるときには静寂が部屋を覆わないように、暗闇が部屋を覆わないようにと過ごしていたのに、昨日気づいた。

入眠前でなかったせいもあるだろうが。あせっていたらしい。私らしくもない。

2010-09-23

新月と満月の日にだけは

新月と満月と日にだけは、
生活のためにこだわらず
心を解き放つと決めてから

新月と満月の日にだけは
できることもできないこともすべて忘れて
自由にあなたのことを思ってる

迷惑なら言ってくれるよねと思って安心していた
二月の心に戻ってる

雨のせいもあるのかな
祝日のせいもあるのかな
今日は自由
何を言われても気にしない、対応できる

何をいわれても気にしない と書くと 相手にしない、無視する という意味にふつうなる。じゃあ 落ち込まないから安心してくれ に当たる短いことばがあるのかというと、ない。日本語はたまに不便だ。

9月23日

僕の育った街は、暗いそらのいろの街だったから
こんな雨の降る日はとても落ち着く

2010-09-20

つぶやき 09-20

承前

自分ひとりのためにノートに書き溜めていた言葉、似たような目にあっている知人をみて、ついmixi でまとめて出した。公開のこちらにも記載

本文

張り合ってなにかやってムキになったり、敵視しているのを見たら 二番煎じなのを自覚してるからムキになっているんだ、可哀想に と思って良いよ

エラソーになりたくないと思って出張るのをやめて、見てかっとなるような異論をみたら こんな対立意見を見るために、全撃破をやめたんだ と思えるはず。本当にエラソーに見えるのがいやで、かつ誰も傷ついて見えないなら

逆に 君は二番煎じだ とブツクサ言う人を見たら、そんなに君はオリジナルでありたいの? 亜流と思われるのが怖いの ? と意地悪に思えるときもある。
君が主張したいのは、意見なのか、自分が目立つことなのかと

奸計に奸計で対抗すれば泥仕合だ(獣木野生/ジェームズ)

君は誰の代わりにもなれない。誰も君の代わりにはなれないように(鯨)

2010-09-11

昨日はおもしろい夢をみた

朝いちど起きた。

おもしろい夢を見た。興味深く、泣けるところまであって、よくできた小説か漫画のようだった。

眠る前にがっかりするようなことに気づいてしまい、ふて寝した結果なので。夢そのものには意味がなく、元気を出せというメッセージなのだろうと忘れることにした。

そんな事実を人にメールで書き送ったら、現実に起こったことを夢とみなして忘れることにしたというメッセージのようになっていたのに今朝気づいた。道理で、メールを送ってからますます元気がなく眠ってしまうはずだ。

そのあともう一度、あまり意味のなさそうな 浅き夢 をみた。指が疼きながらまた眠り、朝を迎えた。

2010-09-08

努力と才能と執念と

悪いな、才能だけならお前を遙かに凌駕していて

才能ってなんだと思う ? 俺とお前の差は、情報に対する感度の差だよ。日頃の生活が、情報に対する感度が努力の代わりになっているんだ

携帯の麻雀ゲームをしながら、いつから日本の娯楽・フィクションにおいて、諦めの悪さが美徳として無条件に通用するようになったのかと考えていた。

あれは自嘲のことば。梶原一騎「巨人の星」の時代は、結果を考えずに前向きに散ることを美とした。いまの漫画では、諦めの悪いと開き直り宣言する登場人物がたいがい成功する。

諦めが悪いというのは他人からみた姿勢。

ふつうの人が見逃す、成功への可能性に対する嗅覚が、そう見えるだけ。

業績を残した天才ならば、可能性の匂いすらしない案はすぱっと諦めている。そうでないと、有限な人生の時間で成し遂げられる仕事の量など多寡がしれている。

ただ、常人が嗅ぎ取れない可能性を感じているだけだ。

2010-09-06

無題

酒が飲みたくなるのは構わないが、アル中になりたいと思うのは異常だ。

2010-08-16

京都で言う「お水送りの日」と気づいてしまい

一昨日関西にもってきた遺骨を置き去りにして昼間に帰れるほど、神経強くもなかった。

いやな感じを無視して強行するのは、ムキになって「無神論」という宗教に縋ること。それは、それで父の求めた無宗教とは違うだろう。少なくとも、私の理解では違う。

肚を括って、諸手続きがもう一日遅れた結果のリスクを三十分検討した。
父の匂いのもっとも色濃く残る、このマンションから今日はあまり離れまい。

2010-07-20

無宗教という信仰

11日に父の遺体を焼いて、喪主を務めました。

生前、父から何度もこっそり言われたのが「俺の葬式は無宗教で」。実現する運びになり、つくづく思いましたよ。もっとも贅沢じゃないかと。

いままでどの宗教、どの心理学、哲学を学んでも、分析の (つまり心を落ち着かせる) ための手法を学ぶだけで帰依するわけにはいかなかった。これからも帰依するわけにはいかない。私自身が墓なのだから。

死者に対するさまざまの伝承や祭祀を、昔の人々が作りたくなった理由を実感しながら、その一つにたりと溺れず、かといって無理に逆らいもせず、方便として使うものは使う。そんな一週間を通り過ぎました。

「何人もの坊主と喧嘩したからイヤだ」と言っていた父。きっと同じく実感として、死と生についていろいろの感じを覚えていたのでしょう。

公に説を立てて語りつづけると、本質を見失ってしまうような。宗教よりもプリミティヴな、人間という存在がもっている実感だけをよすがに、生活を続けていく。

公に語ってしまったら、ただ自分から逃げていく結果にしかならない部分を大切にして。

2010-06-06

「愛の日に」

たしか、高校二年生だったと思う。友人に誘われ、参加した合唱コンクールで憶えた 愛の日に という詩のことを、今でも思い出す。

動画でご紹介したかったが、メドレーの三曲目に入っている程度だ。

高校生のときは、恋をしたいと思って、自分を焦らせちゃいけないよ とほぼ文意のとおりに解釈していた。

自分の娘がローティーンになり、もし早婚だったら自分の子供であってもおかしくない年頃の人々と付き合うようになって、冒頭を歌おうとして別の解釈をしてしまう。

自分が一番大事にしたい人の心を、情熱で無理やりにかきたて、求めたら。

その人が本当に自分のことを愛してくれているのか、あとで迷っちゃうから、やむにやまれないときだけにしておきな。

とね。ひねくれた中年です。


花が自然に開くように
小鳥が春を知るように
愛もいつの日にか自然に訪れる
ことさらかきたてなくても
ことさら求めなくても

まだ霧におおわれている
乙女の日のむこうに
かくれている愛

やがてめぐり会う人の涼しい目が
遠く霧のむこうから
あなたを見つめている

あなたの髪
あなたのほお
あなたのやわらかな耳たぼ

夜がすぎ 朝が訪れ またむかえる夜と朝の
時の流れに運ばれて
ひそやかに近づいてくる
愛の花の開く日

遠くから近づく涼しい目を あなたは待たなければいけない
あなたの美しさが それに応えて
磨かれ かがやいてゆかなければいけない

図書館から借りた高田敏子全詩集 から、全文引いてしまいました。スミマセン。

初出はあなたに (1974) だそうです。

連の区切りを、自分が出会った合唱曲 に合わせて、底本より増やすという改竄が加わっています。

2010-06-01

捨てゼリフ

忘れ物を取りに、金曜にはじめて立ち寄った店。

カウンターの一番奥に、客が一人。前回は読書のためにほぼ橋に座ったが、「無愛想だったか、店の人と話をすべきか」とひとつ置いた隣、マダムの正面に座る。

本も煙草も出さず、メニューや酒瓶を見ながら会話を待つ。沈黙。奥の男が食べ終わり、救われたようにそちらに話しかけるマダム。

新しい客が二人連れで来る。あと三人来るというから詰めようと、荷物をまとめていると声が掛かった。

「すみませんが、お席移動してていただけませんか」

声の響きにかちんときて。残った酒を飲み干し、カウンターから上、食器を下げる高さに無言でグラスを置く。上衣を着なおし席を立った。

請求を差し出しながら言われた「忙しいときを狙って来ているんじゃありませんか」。

暇なら相手をしてやるのに ? そんな素振りは毛頭なかったよと言い返す。

「いや、親子代々の招き猫なんで」

事実だ。そしてもちろん、二度と訪れる気はない。

2010-05-15

「お寝み」を言いたい夜

誰かに言いたい言葉があるとき、相手を間違えてはいけない。無理に伝えてもいけない。

言いたい言葉も飲み込もう。その感情はきっと、次にその人に会ったときの言葉に乗っかる。

言いたかった内容を伝えられなくとも、感情は時を経て伝わる。素敵じゃない ?

2010-05-12

たまには、真実は要らない

会うことができれば、その態度に反応できる自信がある
会うことができなければ、なにを考えるのも勝手

たまには、真実は要らない
悼んでくれているという甘い想像が、走るに任せる

手がかりを探さない

2010-05-02

ものもらい

「それほど重くないし、医者には行っていないんだが。きっとものもらいだね。左目を閉じていると楽なんだ」

「君はドイツ語こそ知らないが、近代心理学という宗教の信者で、フロイトの手掛けた有名なクライアントの話なぞ、心に染みついていそうだよね」

2010-04-22

逆ストーク

mixiで。

知り合いの日記へのコメントから、発言者のページに辿ろうとしてブロックされていた。

コメント内容に、共通の知り合いという情報が追加され、名前に見覚えがなくとも判る「あの人か」と。

今までの交遊があった経路を切られた時は悲しいが。その経路をこちらから調べもしていなかったのに、向こうから態々探して、ブロックして、足跡も消して。そんなこじれ方をした相手は一人目ではない。

そんな行為をされて浮かんでしまう憐憫や満足感の裏にあるのは、認めたくないが支配欲なのだろう。

わざわざ解除するのも手間だから解除していないだけ、今はこだわっていないと想像しておこう。そうでないと向こうが惨めすぎる。

2010-04-07

漫画読んだ

疲れる一日だった。

気分転換に散歩にきて、二日遅れで「ビッグコミックスピリッツ」掲載の「この -S- を見よ」(北澤拓) を読んだ。

主人公の少年が、自覚していなかった魔法(チャーム) で一度親しくなった女性を心に描き話したあとで「僕のことを好きだった君ははじめからいなかったんだ。あれは幻だった」と泣いていた。

やれやれ。

人と人の出会い、感情はいつも一回。

導いたのが偶然のタイミングであれ、性的な魅力であれ、酒であれ、再現は期待できない。

機が向けば新たに似た情景が再現されるかもしれない、しないかもしれない。博奕打ちは知っている、機が向くように最大の努力を重ねても、最後は偶然だけが導くと。

男女の仲に心変わりなどない。すべて真実。それでも再現しないことがある、同じ相手とであれ。

「恋の鞘当ては、敗れたほうがアテウマなのさ」(鯨)

2010-04-03

幻想 -2-

黒い猫になって魔除けになってそばにいようと言ったら、自分が魔物に変わった。

白い猫になって幸運を呼ぶ存在になって、ときどき近づくことにした。

そんな夢をみた。

2010-03-26

「信仰告白」

男は、真っ赤な顔でしゃべりはじめた。

信じてもらえないでしょうが、私は「たましい」を見ました。ほかに表現のしようがない出会いです。

私は彼女の素直な姿を見ました。恥じらう姿を見ました。妖精のように振舞うのを見ました。

いえ、プラトニックですよ。彼女には恋人がいます。それは初めから知っていました。でも、出会ってしまったのです。

彼女も、何度か恥じて「やめましょう。会うと普段の自分ではなくなってしまう」と言いました。

二度と会わないと思ったことはお互いに何度かあります。

最初の春、満開の桜の下を歩いているときに、私は彼女の未来の子供を預かりました。

私との子供であって欲しいと願います。が、多分違うでしょう。

ゲーテの「親和力」という話をご存知ですか ? 子供の頃に読んだが憶えていない、そうでしょう。青臭くて、大人になると忘れてしまうような話です。私もすっかり忘れていました。

二組の夫婦が、互いに別の相手のことを心に置きながら過ごした一夜ののち、産まれてきた赤ん坊は、肉体の父親ではなく心のパートナにそっくりだったという…… いわばおとぎ話です。

私がいま預かっている彼女の子供。もしも彼女に返すときがきたら、産まれてくる子供はきっと私に似てしまうんじゃないか。そんなことを考えるのです。

妄想ですよね。笑って下さい。

男は残った酒を飲み干し、そそくさと勘定を済ませ、夜の街に消えていった。再度会っても、私には彼のことがわからないだろう。

2010-03-22

Storm

3月21日未明。5時に起きて。

河合隼雄の著作や伝記に没頭していたあとのせいか、春の嵐( Storm ) と共に スサノオ( Storm God ) のような心境になった。約束をしていた娘にすら、容赦なく納得を求め突っ込む姿勢を電話で感知され、会うのを避けられた。

32時間後、私に鋭さと知恵を受け継がせながら、温和な社会人としてすごし、引退した父に会い、酒で邪気(?) 払いをしてきた。

2010-03-20

ここから踏み込むと……

ここから踏み込むと、カルト(狂信)

ここから踏み込むと、過干渉

そんな一線はたしかに在る

百年を過ごしたい相手ならば、隙が見えても耐えないといけない線が

2010-03-17

オチがわからない

「先輩が twitter やってると訊いて、通称(メアド・IRC名) とかもってるドメイン名で探しても見当たらない。

翌日、」


という処で途切れた、去年5月1日の未送信メールを携帯の中に発見した。

ミニブログサービスに投稿しようとして、字数制限内にまとめると興が削がれると没にした原稿だ。

で、オチはなんだっけ ?

2010-03-15

もう、こんな季節

木蓮が開きかけているのは目立つけれど、路の片隅に咲く花は気づきにくい

スカボロフェア

いま読み返しているけれど遅々として進まない本、昔話の深層 (河合隼雄 1977)

ふと、白鳥英美子の唄うScaborough Fair が聴きたくなった。手許に残っていなかったので動画を検索。

対訳つきで歌詞が字幕で流れた。

パセリ、セージ、ローズマリー、タイムって。肉を保存するハーヴだよな。放っておくと劣化する肉を。劣化しかけた肉があるのかな。

Then you'll be a true love of mine. , You once was a true love of mine. とこの二人は唄っているが、文字とおりに歌いかけられている対手と考えてはいけないのかな。

調べると普通は HeShe 、疑いようもなくスカボロフェアに住む昔の情人だ。

縫い目のないシャツ といえば、日本では天人の着物には縫い目がないというね (天衣無縫 )。現実世界では不可能なこと、象徴世界では為し得ること。

知識は誰しも歪つ。そんなことに今頃気づいて、感じいったりする。

上記の歌詞の違いが気になって、ヰキペディアを調べたり、英語で唄われる動画もいくつか検索した。中では ケルト女性が唄う版 が一番気に入った。

2010-03-11

新大久保にて

羊かー

誕生日に食べられたら良いな
http://www.kintatsurai.jp

2010-03-09

天地否、地天泰

天地否地天泰 は易経の言葉。天は上をめざし、地は下に安住しているようではお互いに相手を認めずうまくいかない。下から上を目指し、上から下に向かうようでないと調和した姿は得られない と説かれている。

人が人に接するとき、相手の言いたい内容、相手のすべてを汲み取ろうとするのは当たりまえ。

察して下さい と口に出していわないといけなくなった時点で、負けかもしれない。相手が自分に興味がないのではにか、という不信なのだから。言われた側も同罪。

一度や二度の失敗で、終わるほど簡単なものを人間関係とも呼ばないけれど。

2010-03-04

感情のもつれ

論をしてから、感情的に突っかかられているのを感じる相手がいる。

議論をするならば、議論の枠組みで対応すれば良い。議論ではない感情のもつれは、議論では解消できない。

晒し者にして、こちらが一方的な勝者になるのは簡単だ。それはしたくない。

だから、痛い。静観するしかない。

…というのが私の視点。最後には価値観のぶつかり合いだから、晒し者にすれば彼に同調する人も出るだろう。

そこまでして、世界を敵と味方に二分することはない。理由は簡単。私も昔は、彼と同じ価値観を持っていたから。

自分の過去を叩き潰したくない、という感傷。いや、良いのさ。それも俺だ。

2010-02-24

寓話

唐突に届いた 謝罪文 には、理屈や今後の方針は書いてあったが、ひとことも ごめんなさい と書いていなかった。

問い糾すと、訊き返された。

あなたは、私の謝罪を受け入れてくれますか ?

なにを下らないことを訊くのか。その真意はどこか尋ねると、逆に言われた。

それでは、私の勝手な思い過ごしではなく、本当にあなたが不快だったと表明して、謝罪を要求してください。

言ったのでは伝わらないこともある。言わないと返ってこない言葉もある。難しいね

2010-02-15

オーダーメードの会話

人間の個々の性格や状況がまったく見えていなかったあいだは、自分のことと、ロジックにのっとった議論しかできなかった。普通の人ならば、さらに世間話もできるだろう。その辺りが限界だ。

相手の個性。性格、状況、世界にアピールしているキャラクタが視えてくれば、ことに歯がゆいものを日頃から感じていれば、会話はオーダーメイドになる。公の場を使おうが、その人だけのための話題と論法。

一般受けしないのは仕方がない。

2010-02-10

友情 -2-

変えることを恐れず、自分が変わることも恐れない。

育てるのでもなく、育てられ崇拝するのでもなく。

自覚するのは初めてだ。

こんな五行詩を書いた。

水が溢れて 湖になり
川を作って 流れ出す。

ふたつの湖、ふたつの川が、
混ざってひとつの河になる。

そんなふたりに なれたら良いね。

2010-02-06

ニブイ

この部屋に住んで、二年とひと月が経った。

七月から夜空を見上げることが多くなり、PC の星儀板(?) で、何度か星の名前も調べた。

四日、節分。差し入れの恵方巻きについた方位磁針で、この部屋の窓が真南に向いているのに気づいた。

今朝ゴミを出したとき、部屋の前の露地を進むと真正面に半月が見えた。

奥まった私の部屋との位置関係を調べ、初めて前の露地が真東から西に走っているのを知った。

下高井戸、経堂、松原の、どこからの道に対しても斜めに感じる露地なので、すっかり騙されていた。二年間。

2010-02-05

なんぞできてた

世田谷代田の北口から、環七に抜ける坂の末辺りで発見

2010-02-03

友情

恒久不変の敵ではないが、味方とは限らないという共通認識のことかも

2010-01-26

意味もなく

意味もなく、またひとつ blog を開始した。

昨日、頭に浮かんだ 夢天芒洋 という言葉を形にしたかったから、それだけで。

昨日から、ふとユングの提唱した心の4機能は、ヨーロッパ言語でどう表現されていたか気になっていたんだ。

しばらく探して、Carl Jung というページの the functions という項に辿りついた。

  • 論理 = thinking
  • 直観 = intuiting
  • 感情 = feeling
  • 感覚 = sensing

The first is sensing. Sensing means what it says: getting information by means of the senses. A sensing person is good at looking and listening and generally getting to know the world. Jung called this one of the irrational functions, meaning that it involved perception rather than judging of information.

The second is thinking. Thinking means evaluating information or ideas rationally, logically. Jung called this a rational function, meaning that it involves decision making or judging, rather than simple intake of information.

The third is intuiting. Intuiting is a kind of perception that works outside of the usual conscious processes. It is irrational or perceptual, like sensing, but comes from the complex integration of large amounts of information, rather than simple seeing or hearing. Jung said it was like seeing around corners.

The fourth is feeling. Feeling, like thinking, is a matter of evaluating information, this time by weighing one's overall, emotional response. Jung calls it rational, obviously not in the usual sense of the word.

直観は非合理だというのか。