2011-12-17

たぶん

振りほどいても、振り払っても、あのヒトについての勘はよく当たるし、きっと今頃はまた私の陰口を叩いているのだろうという気分に襲われて仕方がない。

あれだけこじらせておいて、最悪の選択を最悪のタイミングで続けておきながら、よくぞ被害者面して他人に言い立てることができるものだ。

もちろん私が被害者だと言い立てるつもりはない。最悪の撰択には最悪の返答で応えてしまっていた自覚はあるし、向こうの立場から書けばきっと一篇の怪奇小説が書けるだろう。それでも、だ。

こじれらせたのは自分であることを無視したいという動機で他人に言い立てれば、それだけ自分の負い目が深くなり、ますます幻視・幻聴・幻痛に悩むことになるのは必然。世の中には、自分の行動で撒いた因縁を解消しなくては、内的現実の世界だけでは益々傷が深くなるようなアレコレがあることに気づいてもらいたいものだ。

とてもこちらが ……周りが迷惑する。

2011-11-27

はじめての事柄に反省はあっても後悔はできない

またも傷つけたのだろう、と思う。

男星人と女星人 とでも訳されるべきだった題の本を読み、思いつくままに、それなりに懸命にメールを書いた結果だ。

傷つくほどの重みが相手のなかになかったのならば、それはそれで構わない。構わないから、傷つけたのだと認識しておく。


けっきょく私は 仲直りしたい という口実で、相手を責めるような文章しか書けなかったな。そんな思いで打ちひしがれて四五日が経った。

たぶん私は、文章に書いた 僕のせいで傷ついたのなら話してほしい のではなく 文章にすると責めることしかできないから、顔を見ないと気分が平静になることも謝ることもできないから て理由で会いたかったのだろう。

そう書くべきだったのだろう。


はじめての事柄に反省することはできても、後悔することはできない。

一度喧嘩した相手と、自分から仲直りをはかるなんてこと、今までなかったのだから仕方がない。

2011-11-23

四日間

直観型のひとは「ここに答がある」は分かっても「その答は何であり、どういう影響を周りに及ぼすか」はあとになるまでわからない。

わたしは、たぶん。人を傷つけたのだろう。「君のせいで私はこれだけ苦しんだ」と伝えただけなのだろう。結果として。

だからこそ「なにをやっても誰かは傷つくのだから、自分の好きに生きて欲しい」てメッセージがきっといつか伝わるとなんて思いたくても思えないけど。

それでも他の道はなかったと思う。
あとの「良く乗り越えられるための解釈」は、当事者のわたしが言えば言い訳。
自分で見つけてもらうより他はない。

わたしは、不幸にさせられたからこそ、人生を深く生きることができて幸せだったよ

2011-11-10

空気が重い

日曜日、親族と打ち合わせを目論んで関西に動き、娘と夕食を食べて。打ち合わせならばちょうど月曜日に東京で会合があるということでトンボ帰り。しかし移動で疲れて眠っていた。

ずっと眠っていた。月曜日の都内の電車の中と、帰宅してからの布団の中で、いま木曜日の未明4時までずっと。

室内になにか気配を感じるが、つきまとわれているという悪い感じでなく、ただ近くにいるような。錯覚かどうかは検証不能なものだから気にしないが、空気が水中のようだ。

先日、拝み屋さんにはじめてクライアントとして会った。友人付き合いとしての拝み屋さんには、この2年で何人も会ったが、クライアントとしてははじめて。

それが日本の神様(精霊)なのかは別としても、なんで生米食べないといけない気持ちにさせてくれるんだろうね、といった愚痴を語り合って二時間を終えた。(私は胃腸の具合が向いてしまうのかそれはそれで美味しいが、拝み屋さんは炊いてある米のほうが美味しいのにと)

おおまっぴらに言うことは少なかったり、言うときには誇大妄想と見えるアヤシゲな言い方をされることもあるが。その感覚はたしかに ある し、万人に共通せずとも日常を生きていくのに邪魔にはならない。そう思えた。

2011-08-27

夜明け

雲の向こうに、満月のように白く太陽が見える朝。

なにも良いことがあったわけではないけれど、なんだかこの先を良く生きていくことができそうな。そんな朝。

きっと、また会うんだろうな。あなたにも。あなたが唯一じゃないけれど。

2011-07-26

ある空想

Rousseau The Sleeping Gypsy

横になって眠っていると、枕元に影があった。 影は困ったようにいった。

お前を食べれば、痛いと憤られ、罵られそう。お前を食べずに立ち去れば、私は美味しくないのか と傷つき、罵られそう。私はいったいどうしたら良いのだい ?

私はこたえた。すきにしたら良いさ。どちらにしても文句は言わない

影は四つ足になり、腹腔のそばにぴったりと立ち、おいしそうに匂いを嗅いだ。



画像はニューヨーク近代美術館所蔵眠るエジプト女性 アンリ・ルソーの筆による

2011-07-06

人の心のドラマに巻き込まれてしまえば

人の心のドラマに巻き込まれてしまえば
役に乗ろうが
役から降りようが
相手のなかに傷を残して
最後は別れるしかない、のかな。

触媒体質なばかりに
巻き込まれてばかり。
自分のドラマは、まだ見つからない

2011-06-30

6月29日未明

午前四時、目が覚めてしばらくして食事を買いに出た。空が薄明かるく、28夜の細い月が建物の隙間に浮かんでいた。

そしてコンビニの帰り、自分の胸に、この一年あまりわかだまっていた、隠すことを強いられ、ぐつぐつしていたものが解放され、空に向けて飛んでいった気がした。

三時間ほど仮眠を取り、昼に目覚めた。
胸の体感は開いたまま、風がすうすうと通り抜けていく気がした。
胸が空っぽで風が吹き抜けるというとふつうは悲しい、空虚な印象だが。それは心地よかった。

判断は間違うことがある。だが決断に間違いはない。善悪を越えて総ての責任を引き受け、道を選ぶのが決断だから。誰がどう批難しようが、「それしか選べない」と想い定めて決めるのだから。
そう思ったのが風の通るきっかけ、総てをふっきったきっかけ。

何度、吹っ切ったと思ってもあとでまた、次の波が押し寄せていたのに。
今では何も怖くない。

三週間前に想い定めた「いつか、皆で笑い合える日がくる」その時に向かった道を歩けている、そんな気持ち。

2011-06-21

欲望がない

怒りが何度も繰り返し襲ってきていたのは、また同じ失敗を繰り返すかもしれないというおそれだったのか。

もう同じ失敗はしない、どんな人との交際も同じ間違いにつながるような形にはしないと思えたら、悔やむ気持ちも執着もなくなった。

譲れないものは譲らない。喧嘩ができる友人しか欲しくない。

無制限の優しさなんか、誰にもあげない。

2011-06-16

夜は

夜は千の目を持つ
僕は八つくらいの目(視点)がほしい

2011-06-13

マリンスノーの降る夜空

マリンスノーは海に降るもの、もちろん大気には降らない。そんな「なにか」を感じるひとがいそうな夜というだけ。

などと書いて半時間も経たないうちに雨が降り出した。

ときどき過去と未来を間違うのは、べつにジョゼ・ルージュメイアン の特権というわけじゃない

2011-05-23

未練もなく、恨みもないのに

もしも、私が誰かと比較してしかほかの異性のことを異性として考えられないならば、
それは、私が誰かのことをまだ好きだから。

悔しいな。いまでも、まだ。もしも本当に死後の霊があるならば私はあなたの元に行きそうだと書き送った言葉が実現しそうだなんて。

それさえも、おそらく必要なこと

人を好きになるのに、同じものを好きになる必要はない。 別のひとを好きになるのに、同じ感情を抱かないといけないと苦しむことはない。 違うからこそ会話ができる。 そして別の人間であることを認識できる、それすらもおそらく必要なこと

2011-03-28

無題

むかし服用していた薬の、ふた月ほど前に掃除していたら出てきたのが。やたらにおいしそうに見えて一錠のんだ。

のんでから名前を読んで検索してみた。セルシン。抗不安、安眠薬。きつすぎて怖いといった記事もある。むかしも頓服としての処方にとどまっていたっけか。おそらく認可されているなかでは最強クラスの向精神薬。

向精神薬がおいしそうに思えるというと、少年時代に傾倒した名作 七胴落とし を思い出す。ものの雰囲気がありありと見え、聴こえるのが当然という世界で、見えなくなる恐怖と戦うはなし。四半世紀を経たいま、私の心許せる友は、見えることに悩みながら見えなくなるのもこわいという人ばかりだ。

自分への間違いさがしばかりしている相手には、どちらの道を得ても不安になるのだろうと矛盾を指し示す。これが正しいのか と縋られると、僕の獲た安心は違う としか応えられない。

なにも信じず、かといって拒否もせず。傲慢(過信) と謙虚(猜疑) のあいだで揺れ動きながら位置を保ちたまえ。それこそが中庸。みえるもの、聴こえる声を全肯定するでもなく、全否定するでもなく。

そんな言葉が、上滑りしそうになって口に出せなければ、いつも私は言うしかない。あなたが自分を信じられるようになるまで、見守っても良いか と。

2011-03-24

自分の 43歳の誕生日

俺はあなたが好きだし、あなたに好きだと言ってもらえたら・そりゃ嬉しいが。

あなたが好きだと言ってくれなくても、あなたの味方だ。

それだけは忘れないでほしい。

いま、面と向かって言える相手がいる。機会や必要があれば言うだろうし、言わずに済む、言わずとも分かってくれているかもしれない。

今は受け取ってもらえないが、言えたら良かった、相手が欲しがっているのはこの言葉だったのだろうと思える相手もいる。

受け取ってもらえない以上は、当然に仲違いしているわけだが。仲違いしている理由は、おそらく上記の感情・思考がうまく伝わらなかったせいだろうが。

仲違いの続くいまでも、味方するという感情に嘘・偽りはない。

2011-03-15

自宅の「停電の可能性のある時間帯」を終えて

スマートフォンでは処理しきれないことがあって PC をつける。

起動音の響きに、この一台の電力で、どこかで十三時までの停電を被る所帯が発生するかもしれないと感じ、

そそくさと用事を済ませて、また消す。

……逼迫しているのは昼間~夕方の電力だというのに、コンビニの深夜閉業を提案した議員がいるとひと伝てに聞いた。

真偽は確かめていない。

コンビニの終夜営業を前提に、派出所の人員が減っていること、街の治安が保たれていることを考えれば、そんなばかな提案ができるとは思えない。
ジョークと思いたい。

2011-02-27

保温

どの小説か忘れたが、風呂で発見された死体は、沸騰する湯のなかですっかり茹だり、肉が骨から剥がれていた。 というシーンを読んだことがある。

昨日、久々に買い物をして鍋にした。

小型の寸胴鍋のほとんどを炒めた野菜がしめ、あとは高野豆腐としいたけ、少量の米が浸かっている。

今朝温め直して、この電磁調理器には 保温 という火加減があるのを思い出す。沸騰させないように、調理器自体が見張ってくれる機能。実験室で卵を孵す器具のようなもの、黴を培養させるにも最適な温度だから、食事にはよいがつけっぱなしでは加熱の意味がないな、と思った。

電磁調理器が保温のまま私が死んだら、黴を培養しながら、ゆっくりと湯は蒸発していくのだろう。発見されるタイミングによっては、水のない緑の内容物が鍋に発見される。そんなことを思った。

2011-02-20

テスト

2011-02-06

言えたら良かった

君の身体は
君自身の快楽を味わうためにある

のびやかに生きろ

2011-01-29

私心なきときには

いまだから言える

近づくことを意図すれば相手が喜ぶのか、遠ざかると喜ぶのか。どちらの仮説もなりたち、片方を仮定して行動すればもう片方の可能性が相手を傷つけたと思える。それ以外に精神が疲れることなど存在しない。

今だって、どちらの可能性も相変わらず存在している。単に私がこれ以上考えると壊れるから、考えないことにしただけ。

2011-01-09

「あれも、これも」と「あれか、これか」

一月は決断

幾多の友よりも一人の大切な人をと望んだならば。その一人を喪ったからと、幾多の友のもとに前と同じに戻れるわけもなく。

ふとのぼった展望台、夕陽の横に富士山の影が見えた

その美しさが写し取れない写真は撮らないんだ、と前の冬に言った

言葉は言葉の美しさしか持たない
写真は写真の美しさしか持たない
体験のもつ力を伝えるわけじゃない