2010-03-26

「信仰告白」

男は、真っ赤な顔でしゃべりはじめた。

信じてもらえないでしょうが、私は「たましい」を見ました。ほかに表現のしようがない出会いです。

私は彼女の素直な姿を見ました。恥じらう姿を見ました。妖精のように振舞うのを見ました。

いえ、プラトニックですよ。彼女には恋人がいます。それは初めから知っていました。でも、出会ってしまったのです。

彼女も、何度か恥じて「やめましょう。会うと普段の自分ではなくなってしまう」と言いました。

二度と会わないと思ったことはお互いに何度かあります。

最初の春、満開の桜の下を歩いているときに、私は彼女の未来の子供を預かりました。

私との子供であって欲しいと願います。が、多分違うでしょう。

ゲーテの「親和力」という話をご存知ですか ? 子供の頃に読んだが憶えていない、そうでしょう。青臭くて、大人になると忘れてしまうような話です。私もすっかり忘れていました。

二組の夫婦が、互いに別の相手のことを心に置きながら過ごした一夜ののち、産まれてきた赤ん坊は、肉体の父親ではなく心のパートナにそっくりだったという…… いわばおとぎ話です。

私がいま預かっている彼女の子供。もしも彼女に返すときがきたら、産まれてくる子供はきっと私に似てしまうんじゃないか。そんなことを考えるのです。

妄想ですよね。笑って下さい。

男は残った酒を飲み干し、そそくさと勘定を済ませ、夜の街に消えていった。再度会っても、私には彼のことがわからないだろう。

2010-03-22

Storm

3月21日未明。5時に起きて。

河合隼雄の著作や伝記に没頭していたあとのせいか、春の嵐( Storm ) と共に スサノオ( Storm God ) のような心境になった。約束をしていた娘にすら、容赦なく納得を求め突っ込む姿勢を電話で感知され、会うのを避けられた。

32時間後、私に鋭さと知恵を受け継がせながら、温和な社会人としてすごし、引退した父に会い、酒で邪気(?) 払いをしてきた。

2010-03-20

ここから踏み込むと……

ここから踏み込むと、カルト(狂信)

ここから踏み込むと、過干渉

そんな一線はたしかに在る

百年を過ごしたい相手ならば、隙が見えても耐えないといけない線が

2010-03-17

オチがわからない

「先輩が twitter やってると訊いて、通称(メアド・IRC名) とかもってるドメイン名で探しても見当たらない。

翌日、」


という処で途切れた、去年5月1日の未送信メールを携帯の中に発見した。

ミニブログサービスに投稿しようとして、字数制限内にまとめると興が削がれると没にした原稿だ。

で、オチはなんだっけ ?

2010-03-15

もう、こんな季節

木蓮が開きかけているのは目立つけれど、路の片隅に咲く花は気づきにくい

スカボロフェア

いま読み返しているけれど遅々として進まない本、昔話の深層 (河合隼雄 1977)

ふと、白鳥英美子の唄うScaborough Fair が聴きたくなった。手許に残っていなかったので動画を検索。

対訳つきで歌詞が字幕で流れた。

パセリ、セージ、ローズマリー、タイムって。肉を保存するハーヴだよな。放っておくと劣化する肉を。劣化しかけた肉があるのかな。

Then you'll be a true love of mine. , You once was a true love of mine. とこの二人は唄っているが、文字とおりに歌いかけられている対手と考えてはいけないのかな。

調べると普通は HeShe 、疑いようもなくスカボロフェアに住む昔の情人だ。

縫い目のないシャツ といえば、日本では天人の着物には縫い目がないというね (天衣無縫 )。現実世界では不可能なこと、象徴世界では為し得ること。

知識は誰しも歪つ。そんなことに今頃気づいて、感じいったりする。

上記の歌詞の違いが気になって、ヰキペディアを調べたり、英語で唄われる動画もいくつか検索した。中では ケルト女性が唄う版 が一番気に入った。

2010-03-11

新大久保にて

羊かー

誕生日に食べられたら良いな
http://www.kintatsurai.jp

2010-03-09

天地否、地天泰

天地否地天泰 は易経の言葉。天は上をめざし、地は下に安住しているようではお互いに相手を認めずうまくいかない。下から上を目指し、上から下に向かうようでないと調和した姿は得られない と説かれている。

人が人に接するとき、相手の言いたい内容、相手のすべてを汲み取ろうとするのは当たりまえ。

察して下さい と口に出していわないといけなくなった時点で、負けかもしれない。相手が自分に興味がないのではにか、という不信なのだから。言われた側も同罪。

一度や二度の失敗で、終わるほど簡単なものを人間関係とも呼ばないけれど。

2010-03-04

感情のもつれ

論をしてから、感情的に突っかかられているのを感じる相手がいる。

議論をするならば、議論の枠組みで対応すれば良い。議論ではない感情のもつれは、議論では解消できない。

晒し者にして、こちらが一方的な勝者になるのは簡単だ。それはしたくない。

だから、痛い。静観するしかない。

…というのが私の視点。最後には価値観のぶつかり合いだから、晒し者にすれば彼に同調する人も出るだろう。

そこまでして、世界を敵と味方に二分することはない。理由は簡単。私も昔は、彼と同じ価値観を持っていたから。

自分の過去を叩き潰したくない、という感傷。いや、良いのさ。それも俺だ。