今朝ふと呟いた。
もう苦しんではいないけど、「あのとき何があったのか」は今でも知りたいね
最近は落ち着いて考える時間ができて、思い出すことも多い。だが、喧嘩の成り行きを思い返したのは久しぶりだ。
忘れるべきだと思ったから、あの半年後から一年半放蕩した。
いまでも、筋のとおらない喧嘩を仕掛けられたこと、こちらからの連絡を絶ち共通に参加していたコミュニティに対し私への批難をして、筋をいえば皆の前で彼女を傷つけるような立場に追い込んだことなど、あの当時の経緯をたどれ謝罪なく許せる気はしない。
が、大切に思ったことを忘れることもできないのだろう。どんな理屈をつけても。
忘れられもしないが、許せもしない。大切な人だからこそ筋は通してほしい。
その矛盾を抱えたままでも生きられるような気がしてきた。
どうでも良い相手なら、いくらでも最後のわがままだけ受け入れて、あとは理解を放棄して歩ける。それは昔から。
どうでも良くはないから、忘れることはできない。理解は放棄でなく保留のまま、それでも
0 コメント:
コメントを投稿