2011-11-27

はじめての事柄に反省はあっても後悔はできない

またも傷つけたのだろう、と思う。

男星人と女星人 とでも訳されるべきだった題の本を読み、思いつくままに、それなりに懸命にメールを書いた結果だ。

傷つくほどの重みが相手のなかになかったのならば、それはそれで構わない。構わないから、傷つけたのだと認識しておく。


けっきょく私は 仲直りしたい という口実で、相手を責めるような文章しか書けなかったな。そんな思いで打ちひしがれて四五日が経った。

たぶん私は、文章に書いた 僕のせいで傷ついたのなら話してほしい のではなく 文章にすると責めることしかできないから、顔を見ないと気分が平静になることも謝ることもできないから て理由で会いたかったのだろう。

そう書くべきだったのだろう。


はじめての事柄に反省することはできても、後悔することはできない。

一度喧嘩した相手と、自分から仲直りをはかるなんてこと、今までなかったのだから仕方がない。

2011-11-23

四日間

直観型のひとは「ここに答がある」は分かっても「その答は何であり、どういう影響を周りに及ぼすか」はあとになるまでわからない。

わたしは、たぶん。人を傷つけたのだろう。「君のせいで私はこれだけ苦しんだ」と伝えただけなのだろう。結果として。

だからこそ「なにをやっても誰かは傷つくのだから、自分の好きに生きて欲しい」てメッセージがきっといつか伝わるとなんて思いたくても思えないけど。

それでも他の道はなかったと思う。
あとの「良く乗り越えられるための解釈」は、当事者のわたしが言えば言い訳。
自分で見つけてもらうより他はない。

わたしは、不幸にさせられたからこそ、人生を深く生きることができて幸せだったよ

2011-11-10

空気が重い

日曜日、親族と打ち合わせを目論んで関西に動き、娘と夕食を食べて。打ち合わせならばちょうど月曜日に東京で会合があるということでトンボ帰り。しかし移動で疲れて眠っていた。

ずっと眠っていた。月曜日の都内の電車の中と、帰宅してからの布団の中で、いま木曜日の未明4時までずっと。

室内になにか気配を感じるが、つきまとわれているという悪い感じでなく、ただ近くにいるような。錯覚かどうかは検証不能なものだから気にしないが、空気が水中のようだ。

先日、拝み屋さんにはじめてクライアントとして会った。友人付き合いとしての拝み屋さんには、この2年で何人も会ったが、クライアントとしてははじめて。

それが日本の神様(精霊)なのかは別としても、なんで生米食べないといけない気持ちにさせてくれるんだろうね、といった愚痴を語り合って二時間を終えた。(私は胃腸の具合が向いてしまうのかそれはそれで美味しいが、拝み屋さんは炊いてある米のほうが美味しいのにと)

おおまっぴらに言うことは少なかったり、言うときには誇大妄想と見えるアヤシゲな言い方をされることもあるが。その感覚はたしかに ある し、万人に共通せずとも日常を生きていくのに邪魔にはならない。そう思えた。