<p>まったくのノーヒントで、今日月曜日、仮名・京が私から解放されたと笑うイメージが浮かんだ。</p>
<p>私への憎しみや当てつけでなく、本当に心から、晴れ晴れと。</p>
<p>もしも又わたしの勘が当たるものならば、来年からはもう、誕生日の午前零時に非通知の電話着信などなくなるだろう。</p>
2012-06-19
2012-04-28
それは二年も前のことだというのに
それは二年も前のことだというのに
古傷が痛んで仕方がない
人に怨みはなく、腑に落ちない処理をされたという憤り
それは二年も前のことだというのに
あれを傷つける気は毛頭ないのに
思い出すだけで、世界が色褪せる
「あの馬鹿」と呼べるのは
今でも
実娘とその女一人だけ
あとは節度をもって接することのできる他人
GW は嫌いだ
GW は嫌いだ。
自分が周りの人間を巻き込んでおいて、私がその不明晰さに混乱して「あれは本当にあったことなのか」と訊こうとしただけでさらに荒れて「他人を巻き込むな」などとふざけた言いがかりで友人をひとり、巻き込み、事態を悪化させたあげく。
結局は会っても何も言わず、言わさず、黙って喧嘩などなかったこととして振る舞おうとしたあいつも。
それでも会えば仲直りできると信じていた自分も。
二年前のどちらの出来事も、互いに幼すぎて腹が立つ。
今年は、もう忘れることができるかと思えば互いの誕生日にまた過去からの響きがあった。
あのとき私の家の電話が非通知も着信可にしていて、彼女からの声ならば、祝福ならば。笑って総て水に流せたのだろうか。
わからない、だが少なくとも連絡もきちんと取れない相手を認めることはできない。
今年もまた、GW はロクな状態ではない。
だが去年よりはマシだ。
去年は、追憶が勢い剰って、彼女からもらった「私だけを見ろ」という言葉が核となった自分への呪詛を作り上げてしまった。
呪詛として処置するために神社にいき、拝み屋が見るであろうもの、感じるであろう気配を使って解呪できたのは夏のことだった。
許させてほしい。
こんな想いかたはいやだ。
2012-02-19
考えてみれば、だ
年末かその辺り、「赦そうと思えば愛さざるをえない、愛そうと思えば怒らざるをえない。グルグル」とどこかに書いたような気がするが見当たらない。まぁ良い。
考えてみれば、だ。
私にどんな愛や意図があろうが、受け取り手が不快だったり脅かされたりしたら攻撃だという、向こうの価値観を尊重すれば、だ。
二度と会わない相手を許す必要はない。
またいつか会えるだろうと確信・信頼していたから怒りを収める必要があるわけで、会うことがないというならば、怒り続けていても良いわけだ。
憎くもない。嫌いでもない。
幸せであってほしい。
だが怒りつづけることと両立する。
まだ俺は怒ってるのか
頭痛でこの男( http://goo.gl/QgtnS )を思い出した。
「畜生、泣きすぎて頭が痛いぜ」
(c)獣木野生
恋の本質が「この人は唯一でほかにいない」という感覚ならば、ほかのもので代替できないとうことならば、最後に受け取った怒りがそのまま持続するのは当然と思える。
怒りを認めたくなかったから、感謝しているから、好きだからと怒りから目を背けて10ヶ月
怒りを認めてからさらに一年。
それだけが残ってしまうのも、ほかのやさしい感情の対称を一時的に別の対象に置き換えても残るのも。しかたがない
2011-12-17
たぶん
振りほどいても、振り払っても、あのヒトについての勘はよく当たるし、きっと今頃はまた私の陰口を叩いているのだろうという気分に襲われて仕方がない。
あれだけこじらせておいて、最悪の選択を最悪のタイミングで続けておきながら、よくぞ被害者面して他人に言い立てることができるものだ。
もちろん私が被害者だと言い立てるつもりはない。最悪の撰択には最悪の返答で応えてしまっていた自覚はあるし、向こうの立場から書けばきっと一篇の怪奇小説が書けるだろう。それでも、だ。
こじれらせたのは自分であることを無視したいという動機で他人に言い立てれば、それだけ自分の負い目が深くなり、ますます幻視・幻聴・幻痛に悩むことになるのは必然。世の中には、自分の行動で撒いた因縁を解消しなくては、内的現実の世界だけでは益々傷が深くなるようなアレコレがあることに気づいてもらいたいものだ。
とてもこちらが ……周りが迷惑する。
