2012-06-30

占い札は希望しか映さないのか

二年前の、父の推定命日が過ぎ去り、三回忌で喪が明けたと思ったのが水曜日(そして月曜日から仕事に復帰する、決して得意ではない Java 言語のコーダ業務がどれだけ続くかわからないが)

なぜかまた、仮名・京のことが思われる。
本人がタイムラインにあからさまに書いたメールアドレスに紐づく Google+ に私の愚痴を書いていた人。

それを指摘するのが怖くて、やんわりと書く代わりにメールをそのアドレスに送ったら、口実だったのか本気だったのか「しばらく連絡しない」と怒りだし、悩んだ末のひと月後に「君はあからさまにメールアドレスを書いていたし、わたしはそこにイイネしてたよね」と書き送ったあと、共通の友人経由で酒席を設けたのかと思いきや、けっきょく謝るそぶりをみせずに、いくら水を向けてもとぼけつづけた人。

父の死の時にそばにいてほしいと連絡を取り続けて無視され、それでは私が嫌いなのか、願いに従って執着を絶たねばいけないと思ったから、女性関係があれから乱脈になったのだなと反省するほどに、また思い起こされる。

この春の私の誕生日の午前零時過ぎの非通知着信、ほかに心当たりもないし彼女だろうと悩んだりもした。その翌月かに連絡をとり「連絡をしないでくれ」とはじめて返されたのだから、気に病むべきでないのだろうと思いながらカードを引くのに、なぜにこうも「思い直せ、彼女もまた、お前に囚われてる(だが怒ってもいる)」とばかりにカードが出るのか。

連絡を取らないでくれといわれてから、今まで目を背けていた自分の怒りを公式日記にいくつも綴った。
遊女の思考形態だよねと書いた。
はじめて、西洋人が女性を売女と罵る意味がわかったと思い、自分でも酷いことを書いてると思った。

これだけのことを書いたのだから、もう私は彼女にはきちんとサヨナラを言ってもくれなかった憾みしか残っていないものだと思えるはず、なのに。

札が「私は自分の恋情から逃げようと無理してるだけ」、「彼女もまた囚われてる」とばかりに出る。

歳の差を考えれば、私の甲斐性無しを考えれば、成就すべきでない恋なのに

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