2012-04-28

GW は嫌いだ

GW は嫌いだ。

自分が周りの人間を巻き込んでおいて、私がその不明晰さに混乱して「あれは本当にあったことなのか」と訊こうとしただけでさらに荒れて「他人を巻き込むな」などとふざけた言いがかりで友人をひとり、巻き込み、事態を悪化させたあげく。

結局は会っても何も言わず、言わさず、黙って喧嘩などなかったこととして振る舞おうとしたあいつも。
それでも会えば仲直りできると信じていた自分も。
二年前のどちらの出来事も、互いに幼すぎて腹が立つ。

今年は、もう忘れることができるかと思えば互いの誕生日にまた過去からの響きがあった。
あのとき私の家の電話が非通知も着信可にしていて、彼女からの声ならば、祝福ならば。笑って総て水に流せたのだろうか。
わからない、だが少なくとも連絡もきちんと取れない相手を認めることはできない。

今年もまた、GW はロクな状態ではない。
だが去年よりはマシだ。

去年は、追憶が勢い剰って、彼女からもらった「私だけを見ろ」という言葉が核となった自分への呪詛を作り上げてしまった。

呪詛として処置するために神社にいき、拝み屋が見るであろうもの、感じるであろう気配を使って解呪できたのは夏のことだった。

許させてほしい。
こんな想いかたはいやだ。

2012-02-19

考えてみれば、だ

年末かその辺り、「赦そうと思えば愛さざるをえない、愛そうと思えば怒らざるをえない。グルグル」とどこかに書いたような気がするが見当たらない。まぁ良い。

考えてみれば、だ。
私にどんな愛や意図があろうが、受け取り手が不快だったり脅かされたりしたら攻撃だという、向こうの価値観を尊重すれば、だ。

二度と会わない相手を許す必要はない。
またいつか会えるだろうと確信・信頼していたから怒りを収める必要があるわけで、会うことがないというならば、怒り続けていても良いわけだ。

憎くもない。嫌いでもない。
幸せであってほしい。
だが怒りつづけることと両立する。

まだ俺は怒ってるのか

今さらどうしようもないという点では涙も怒りも同じ。

頭痛でこの男( http://goo.gl/QgtnS )を思い出した。


「畜生、泣きすぎて頭が痛いぜ」
(c)獣木野生


恋の本質が「この人は唯一でほかにいない」という感覚ならば、ほかのもので代替できないとうことならば、最後に受け取った怒りがそのまま持続するのは当然と思える。

怒りを認めたくなかったから、感謝しているから、好きだからと怒りから目を背けて10ヶ月
怒りを認めてからさらに一年。

それだけが残ってしまうのも、ほかのやさしい感情の対称を一時的に別の対象に置き換えても残るのも。しかたがない

2011-12-17

たぶん

振りほどいても、振り払っても、あのヒトについての勘はよく当たるし、きっと今頃はまた私の陰口を叩いているのだろうという気分に襲われて仕方がない。

あれだけこじらせておいて、最悪の選択を最悪のタイミングで続けておきながら、よくぞ被害者面して他人に言い立てることができるものだ。

もちろん私が被害者だと言い立てるつもりはない。最悪の撰択には最悪の返答で応えてしまっていた自覚はあるし、向こうの立場から書けばきっと一篇の怪奇小説が書けるだろう。それでも、だ。

こじれらせたのは自分であることを無視したいという動機で他人に言い立てれば、それだけ自分の負い目が深くなり、ますます幻視・幻聴・幻痛に悩むことになるのは必然。世の中には、自分の行動で撒いた因縁を解消しなくては、内的現実の世界だけでは益々傷が深くなるようなアレコレがあることに気づいてもらいたいものだ。

とてもこちらが ……周りが迷惑する。

2011-11-27

はじめての事柄に反省はあっても後悔はできない

またも傷つけたのだろう、と思う。

男星人と女星人 とでも訳されるべきだった題の本を読み、思いつくままに、それなりに懸命にメールを書いた結果だ。

傷つくほどの重みが相手のなかになかったのならば、それはそれで構わない。構わないから、傷つけたのだと認識しておく。


けっきょく私は 仲直りしたい という口実で、相手を責めるような文章しか書けなかったな。そんな思いで打ちひしがれて四五日が経った。

たぶん私は、文章に書いた 僕のせいで傷ついたのなら話してほしい のではなく 文章にすると責めることしかできないから、顔を見ないと気分が平静になることも謝ることもできないから て理由で会いたかったのだろう。

そう書くべきだったのだろう。


はじめての事柄に反省することはできても、後悔することはできない。

一度喧嘩した相手と、自分から仲直りをはかるなんてこと、今までなかったのだから仕方がない。

2011-11-23

四日間

直観型のひとは「ここに答がある」は分かっても「その答は何であり、どういう影響を周りに及ぼすか」はあとになるまでわからない。

わたしは、たぶん。人を傷つけたのだろう。「君のせいで私はこれだけ苦しんだ」と伝えただけなのだろう。結果として。

だからこそ「なにをやっても誰かは傷つくのだから、自分の好きに生きて欲しい」てメッセージがきっといつか伝わるとなんて思いたくても思えないけど。

それでも他の道はなかったと思う。
あとの「良く乗り越えられるための解釈」は、当事者のわたしが言えば言い訳。
自分で見つけてもらうより他はない。

わたしは、不幸にさせられたからこそ、人生を深く生きることができて幸せだったよ

2011-11-10

空気が重い

日曜日、親族と打ち合わせを目論んで関西に動き、娘と夕食を食べて。打ち合わせならばちょうど月曜日に東京で会合があるということでトンボ帰り。しかし移動で疲れて眠っていた。

ずっと眠っていた。月曜日の都内の電車の中と、帰宅してからの布団の中で、いま木曜日の未明4時までずっと。

室内になにか気配を感じるが、つきまとわれているという悪い感じでなく、ただ近くにいるような。錯覚かどうかは検証不能なものだから気にしないが、空気が水中のようだ。

先日、拝み屋さんにはじめてクライアントとして会った。友人付き合いとしての拝み屋さんには、この2年で何人も会ったが、クライアントとしてははじめて。

それが日本の神様(精霊)なのかは別としても、なんで生米食べないといけない気持ちにさせてくれるんだろうね、といった愚痴を語り合って二時間を終えた。(私は胃腸の具合が向いてしまうのかそれはそれで美味しいが、拝み屋さんは炊いてある米のほうが美味しいのにと)

おおまっぴらに言うことは少なかったり、言うときには誇大妄想と見えるアヤシゲな言い方をされることもあるが。その感覚はたしかに ある し、万人に共通せずとも日常を生きていくのに邪魔にはならない。そう思えた。