横になって眠っていると、枕元に影があった。 影は困ったようにいった。
お前を食べれば、痛いと憤られ、罵られそう。お前を食べずに立ち去れば、
私は美味しくないのか
と傷つき、罵られそう。私はいったいどうしたら良いのだい ?
私はこたえた。すきにしたら良いさ。どちらにしても文句は言わない
影は四つ足になり、腹腔のそばにぴったりと立ち、おいしそうに匂いを嗅いだ。
画像はニューヨーク近代美術館所蔵眠るエジプト女性
アンリ・ルソーの筆による
午前四時、目が覚めてしばらくして食事を買いに出た。空が薄明かるく、28夜の細い月が建物の隙間に浮かんでいた。
そしてコンビニの帰り、自分の胸に、この一年あまりわかだまっていた、隠すことを強いられ、ぐつぐつしていたものが解放され、空に向けて飛んでいった気がした。
三時間ほど仮眠を取り、昼に目覚めた。
胸の体感は開いたまま、風がすうすうと通り抜けていく気がした。
胸が空っぽで風が吹き抜けるというとふつうは悲しい、空虚な印象だが。それは心地よかった。
判断は間違うことがある。だが決断に間違いはない。善悪を越えて総ての責任を引き受け、道を選ぶのが決断だから。誰がどう批難しようが、「それしか選べない」と想い定めて決めるのだから。
そう思ったのが風の通るきっかけ、総てをふっきったきっかけ。
何度、吹っ切ったと思ってもあとでまた、次の波が押し寄せていたのに。
今では何も怖くない。
三週間前に想い定めた「いつか、皆で笑い合える日がくる」その時に向かった道を歩けている、そんな気持ち。
マリンスノーは海に降るもの、もちろん大気には降らない。そんな「なにか」を感じるひとがいそうな夜というだけ。
などと書いて半時間も経たないうちに雨が降り出した。
ときどき過去と未来を間違うのは、べつにジョゼ・ルージュメイアン の特権というわけじゃない
もしも、私が誰か
と比較してしかほかの異性のことを異性として考えられないならば、
それは、私が誰か
のことをまだ好きだから。
悔しいな。いまでも、まだ。もしも本当に死後の霊があるならば私はあなたの元に行きそうだ
と書き送った言葉が実現しそうだなんて。