いやな感じを無視して強行するのは、ムキになって「無神論」という宗教に縋ること。それは、それで父の求めた無宗教とは違うだろう。少なくとも、私の理解では違う。
肚を括って、諸手続きがもう一日遅れた結果のリスクを三十分検討した。
父の匂いのもっとも色濃く残る、このマンションから今日はあまり離れまい。
いやな感じを無視して強行するのは、ムキになって「無神論」という宗教に縋ること。それは、それで父の求めた無宗教とは違うだろう。少なくとも、私の理解では違う。
肚を括って、諸手続きがもう一日遅れた結果のリスクを三十分検討した。
父の匂いのもっとも色濃く残る、このマンションから今日はあまり離れまい。
11日に父の遺体を焼いて、喪主を務めました。
生前、父から何度もこっそり言われたのが「俺の葬式は無宗教で」。実現する運びになり、つくづく思いましたよ。もっとも贅沢じゃないかと。
いままでどの宗教、どの心理学、哲学を学んでも、分析の (つまり心を落ち着かせる) ための手法を学ぶだけで帰依するわけにはいかなかった。これからも帰依するわけにはいかない。私自身が墓なのだから。
死者に対するさまざまの伝承や祭祀を、昔の人々が作りたくなった理由を実感しながら、その一つにたりと溺れず、かといって無理に逆らいもせず、方便として使うものは使う。そんな一週間を通り過ぎました。
「何人もの坊主と喧嘩したからイヤだ」と言っていた父。きっと同じく実感として、死と生についていろいろの感じを覚えていたのでしょう。
公に説を立てて語りつづけると、本質を見失ってしまうような。宗教よりもプリミティヴな、人間という存在がもっている実感だけをよすがに、生活を続けていく。
公に語ってしまったら、ただ自分から逃げていく結果にしかならない部分を大切にして。
たしか、高校二年生だったと思う。友人に誘われ、参加した合唱コンクールで憶えた 愛の日に
という詩のことを、今でも思い出す。
動画でご紹介したかったが、メドレーの三曲目に入っている程度だ。
高校生のときは、恋をしたいと思って、自分を焦らせちゃいけないよ
とほぼ文意のとおりに解釈していた。
自分の娘がローティーンになり、もし早婚だったら自分の子供であってもおかしくない年頃の人々と付き合うようになって、冒頭を歌おうとして別の解釈をしてしまう。
自分が一番大事にしたい人の心を、情熱で無理やりにかきたて、求めたら。
その人が本当に自分のことを愛してくれているのか、あとで迷っちゃうから、やむにやまれないときだけにしておきな。
とね。ひねくれた中年です。
花が自然に開くように
小鳥が春を知るように
愛もいつの日にか自然に訪れる
ことさらかきたてなくても
ことさら求めなくてもまだ霧におおわれている
乙女の日のむこうに
かくれている愛やがてめぐり会う人の涼しい目が
遠く霧のむこうから
あなたを見つめているあなたの髪
あなたのほお
あなたのやわらかな耳たぼ夜がすぎ 朝が訪れ またむかえる夜と朝の
時の流れに運ばれて
ひそやかに近づいてくる
愛の花の開く日遠くから近づく涼しい目を あなたは待たなければいけない
あなたの美しさが それに応えて
磨かれ かがやいてゆかなければいけない
図書館から借りた高田敏子全詩集
から、全文引いてしまいました。スミマセン。
初出はあなたに
(1974) だそうです。
連の区切りを、自分が出会った合唱曲 に合わせて、底本より増やすという改竄が加わっています。
カウンターの一番奥に、客が一人。前回は読書のためにほぼ橋に座ったが、「無愛想だったか、店の人と話をすべきか」とひとつ置いた隣、マダムの正面に座る。
本も煙草も出さず、メニューや酒瓶を見ながら会話を待つ。沈黙。奥の男が食べ終わり、救われたようにそちらに話しかけるマダム。
新しい客が二人連れで来る。あと三人来るというから詰めようと、荷物をまとめていると声が掛かった。
「すみませんが、お席移動してていただけませんか」
声の響きにかちんときて。残った酒を飲み干し、カウンターから上、食器を下げる高さに無言でグラスを置く。上衣を着なおし席を立った。
請求を差し出しながら言われた「忙しいときを狙って来ているんじゃありませんか」。
暇なら相手をしてやるのに ? そんな素振りは毛頭なかったよと言い返す。
「いや、親子代々の招き猫なんで」
事実だ。そしてもちろん、二度と訪れる気はない。
言いたい言葉も飲み込もう。その感情はきっと、次にその人に会ったときの言葉に乗っかる。
言いたかった内容を伝えられなくとも、感情は時を経て伝わる。素敵じゃない ?