2013-07-25

結末

去年の5月、心身がぼろぼろだったときから夜勤の水商売を吉祥寺にしている。リハビリにはなった。

ときどき夜勤明け、帰り道に吉祥寺駅の東側にあるラブホテルの前を通ることがある。必ず仮名・京の雰囲気を感じる。最後に四人で酒を飲み、仲直りができなかったときに、あとの二人の宿を探すため新宿のラブホテル街を何度も通ったせい、思い出しているだけだろう。

あのころ、あのあと。「忘れろ」と言われたのならと。もしくは自分の生活をするために忘れないといけないと。いろいろの女性と会った。セクシャルな付き合いをしたら忘れることができるかと、その手の商売女にも会った。かえって商売女に会うと、ホテル街を通りながら「自分が身を売っていたこともある」と匂わすような言動をしていた彼女のことが思い出されて腹が立っていた。身を売っていたと推測されることが問題なのではない。その程度のことで愛想を尽かされるだろうと確信されていたことに、信頼されていないと怒っていたのだ。事実であれ、喧嘩を売るためのフィクションであれ。

夜勤先の収益があまり良くないと、武蔵野総社である府中・大国魂神社に行きだした頃からだろうか。神社には自分のことを誓いに行くだけだが、摂社の稲荷には二度と彼女に会えなくとも彼女に幸せがあるようにと願う習慣が、心を安らがせるようになった。

21日日曜日、土用子の日。部屋を持たない売春婦を呼び出し、商売の値段を払い鰻をともに食べ、酒を突き合わせて時間終了とした。

そのようなことをして腹が立たなかったから、もう彼女のことで怒っていない、こだわってはいないのだなと思えた。気がすとんと楽になった。