あまりにイライラするので、読んでいる本に触発されてバウム・テストしてみた。
根っこが大きくなりつつあるのは実用的な方向に意識が向いていて良いこと、らしい。
私の昔のうろ覚えの知識では、意識の下に色々のものを抱えてるってことだったのだが
それは二年も前のことだというのに
古傷が痛んで仕方がない
人に怨みはなく、腑に落ちない処理をされたという憤り
それは二年も前のことだというのに
あれを傷つける気は毛頭ないのに
思い出すだけで、世界が色褪せる
「あの馬鹿」と呼べるのは
今でも
実娘とその女一人だけ
あとは節度をもって接することのできる他人
GW は嫌いだ。
自分が周りの人間を巻き込んでおいて、私がその不明晰さに混乱して「あれは本当にあったことなのか」と訊こうとしただけでさらに荒れて「他人を巻き込むな」などとふざけた言いがかりで友人をひとり、巻き込み、事態を悪化させたあげく。
結局は会っても何も言わず、言わさず、黙って喧嘩などなかったこととして振る舞おうとしたあいつも。
それでも会えば仲直りできると信じていた自分も。
二年前のどちらの出来事も、互いに幼すぎて腹が立つ。
今年は、もう忘れることができるかと思えば互いの誕生日にまた過去からの響きがあった。
あのとき私の家の電話が非通知も着信可にしていて、彼女からの声ならば、祝福ならば。笑って総て水に流せたのだろうか。
わからない、だが少なくとも連絡もきちんと取れない相手を認めることはできない。
今年もまた、GW はロクな状態ではない。
だが去年よりはマシだ。
去年は、追憶が勢い剰って、彼女からもらった「私だけを見ろ」という言葉が核となった自分への呪詛を作り上げてしまった。
呪詛として処置するために神社にいき、拝み屋が見るであろうもの、感じるであろう気配を使って解呪できたのは夏のことだった。
許させてほしい。
こんな想いかたはいやだ。