いまだから言える
近づくことを意図すれば相手が喜ぶのか、遠ざかると喜ぶのか。どちらの仮説もなりたち、片方を仮定して行動すればもう片方の可能性が相手を傷つけたと思える。それ以外に精神が疲れることなど存在しない。
今だって、どちらの可能性も相変わらず存在している。単に私がこれ以上考えると壊れるから、考えないことにしただけ。
幾多の友よりも一人の大切な人をと望んだならば。その一人を喪ったからと、幾多の友のもとに前と同じに戻れるわけもなく。
ふとのぼった展望台、夕陽の横に富士山の影が見えた
その美しさが写し取れない写真は撮らないんだ、と前の冬に言った
言葉は言葉の美しさしか持たない
写真は写真の美しさしか持たない
体験のもつ力を伝えるわけじゃない