2010-08-16

京都で言う「お水送りの日」と気づいてしまい

一昨日関西にもってきた遺骨を置き去りにして昼間に帰れるほど、神経強くもなかった。

いやな感じを無視して強行するのは、ムキになって「無神論」という宗教に縋ること。それは、それで父の求めた無宗教とは違うだろう。少なくとも、私の理解では違う。

肚を括って、諸手続きがもう一日遅れた結果のリスクを三十分検討した。
父の匂いのもっとも色濃く残る、このマンションから今日はあまり離れまい。